HIROSHI NAGAI ✕ DELFONICS by DELFONICS

同じ道を、旅した
2人の「時代と文化」

風景や時代を切り取った普遍的な作品を描く永井博さんと、
シンプルで飽きのこないデザインを提案するDELFONICS。
文具を通し、初のコラボレーションが実現しました。
永井さんとDELFONICSが惹かれ合う理由は何なのか?
DELFONICS代表、佐藤達郎との対談を通して、
そこにある共通点を探りました。

佐藤達郎
永井博
SPECIAL TALK _Hiroshi Nagai x Tatsuro Sato
SPECIAL TALK _Hiroshi Nagai x Tatsuro Sato

アメリカ一択の時代からヨーロッパへ

_佐藤

先日、永井さんにいただいた絵を、うれしくて思わず持ってきてみました。

_永井

あぁ、これね(笑)。
自分の好きな音楽グループを順番に描いた作品の1つですが、
デルフォニックスの絵だから「あげるよ」って。
スタイリスティックスが日本に来たときに、
ポスターの仕事で描きはじめてから、
デルフォニックス、ブルー・ノーツブルー・マジック
そして最後に描いたのがモーメンツだったかな。

_佐藤

今日、たまたまブルー・マジックのレコードも
ここに持ってこようと思っていたんですよ(笑)
学生のころ、あの辺の音楽にひたりこんでいた時期があって。

_永井

1973年に、アメリカの西海岸から東海岸まで旅をしたんですけどね。
サンフランシスコ、ロサンゼルス、サンディエゴ、ニューヨークという感じで。
そのとき、デルフォニックスが出ているというので
アメリカのアポロシアターまで見に行きました。
一緒に出ていたドラマティックスも、すごくかっこよかったな。

_佐藤

僕がアポロシアターに行ったのは、10年後の1983年頃。
西海岸のロサンゼルスから入り、サンディエゴ、飛行機でニューヨークに渡り、
グレイハウンドに乗って転々としながらサンフランシスコに帰るというルートでした。
永井さんの一周遅れくらいで、同じ道をたどっていますね(笑)。
永井さんの世代では、まず旅と言えばアメリカだったんですか?

_永井

そうだね、当時は外国というとアメリカしかなかった。
何だかんだ言っても、今もアメリカが好きなんですけどね。
でも、アメリカに行っても入る店はヨーロッパ系の店。
服はヴェルサーチばかり買っていたし、モノはヨーロッパが好きなの。
アメリカの服はTシャツとトレーナー、あとコンバースくらい。

_佐藤

僕は中高のころ、最後のVAN世代でした。

_永井

あぁ、僕もVANですよ。

_佐藤

そうなんですか?

_永井

18歳の頃だから、今からもう50年も前か(笑)。
中学の頃はパンタロンみたいな太いパンツが流行っていて。
その後、高校でアイビーに。
周りの高校生は、先の尖った靴をみんな履いていたんだけど、
僕は、それを止めてスリッポンになった。
マドラスチェックのシャツにVANのカーディガンを着てね。
雑誌の『MEN'S CLUB』がまだ季刊誌の時代だけれど、
田舎で、そういうファッションをしている人は4~5人しかいなかった。

_佐藤

僕の時代も、外国と言えばアメリカでした。
でも、徐々に違うものへ興味が生まれたこともあって、
その後、ヨーロッパの文化に入っていったんです。

_永井

たしかに80年代は、ヨーロッパの時代になったね。
70年代は『MEN'S CLUB』『POPEYE』があって、アメリカじゃないですか。
80年代後半って、時代が変わりましたよね。
時代的に多くの人のアメリカへの興味が薄れていって、
そのころ、僕も仕事がなくなりましたよね(笑)

永井さんの絵
ソウルグループ、デルフォニックスを
描いた作品を永井さんが佐藤に贈ったもの
デルフォニックス/スタイリススティックス/
ブルー・ノーツ/ブルー・マジック/モーメンツ
1960年代~1970年代のソウルグループの名称。
彼らを描いた作品をプリントしたTシャツを、
永井さんのフリーマーケット企画でも出品中
VAN
ヴァンヂャケット。1960年代の
アイビー・ファッションの中心
となったブランド
アイビー
1960年代にトレンドとなったファッション。
トラッドなカジュアルスタイル
MEN’S CLUB
1954年に創刊したメンズ誌。「メンクラ」と略され、
トラッドなファッションを発信
POPEYE
こちらの創刊は1970年。アメリカのライフスタイルや
ファッションを提供
SPECIAL TALK _Hiroshi Nagai x Tatsuro Sato

シュルレアリスムとポップアートの融合

_佐藤

先ほど言われたように、アメリカからヨーロッパへと
日本のカルチャーのメインストリームが移りつつ、
少し露出度は減りましたよね。
でも僕にとって、永井さんはずっと巨匠だった。
自分が子供のころの日本を思い出すと、何となくジメッとしているイメージがあって。
田舎の祖父が、夕方暗い座敷で白黒テレビをつけて大相撲を見ているような(笑)。
今でこそカラーの大型テレビで空気感は一変してしまったけれど、
僕は、あの雰囲気が受け入れられなかったんですね。
スティーヴィー・ワンダーが陽の曲を歌い上げるあの抜けのある感じや、
アメリカの西海岸のカラッとした感じ、明るい将来を喚起してくれるような……。
日本には、そういうムードが無いような気がしていた。
そのときに、永井さんの絵を見たんです。
これまで見たことのない、すっと抜けのある圧倒的な心地良さ。
今日は、なぜそんな作品が描けたのか、その背景も聞いてみたいと思っていました。

_永井

やっぱり、アメリカに行ったからだと思うんですよね。
その前には、ダリのようなシュルレアリスムにも影響を受けています。
ダリも青空を描いているんだけど、それは暗いと思うんですね。
アメリカでは、空港の駐車場に車が止まっていて、
そこから影が伸びている。そんな風景を見たの。
シュルレアリスムと、アメリカのポップアートが混ざったのかな。
アメリカの風景をリアルに描いたスーパーリアリズムの展示が
東京都美術館であって、それにも刺激を受けました。

_佐藤

永井さんの絵には、建物も出てきますね。

_永井

リチャード・ノイトラという建築家が好きなんです。
ノイトラも設計しているケース・スタディ・ハウスという家が大好きで。
あと、ル・コルビュジエや彼に師事した坂倉準三も。

_佐藤

僕もあの辺の建築家、日本なら坂倉準三や吉村順三、前川國男など大好きです。
そういった永井さんの中にあるモダニズムの部分に、共感するのかもしれません。

シュルレアリスム
サルバドール・ダリ、ルネ・マグリットを代表とする
超現実主義と訳される思想
ポップアート
ロイ・リキテンスタイン、アンディ・ウォーホルなどに
代表されるアート
スーパーリアリズム
ポップアートの流れを汲み1960年代のアメリカで誕生。
写真を使用したリアルな画風が特徴
建築
作品にも出てくるモダンな建築。永井さんの初期の事務所は
コルビュジエの家具で揃えていたそう
SPECIAL TALK _Hiroshi Nagai x Tatsuro Sato

AORやシティポップがリバイバルする時代

_佐藤

最近は、音楽の流れも変わってきていますね。

_永井

僕は、ずっと変わらずに仕事をしていたけれど、
2000年頃に世の中が変わってきました。
しばらくは、僕なんかの時代ではなかったのですが、
2000年頃に音楽ではAORが流行ってきて。
ビクターから発売されたAORのコンピレーションの仕事をしたのですが、
それがヒットして、今はAORやシティポップが来ています。
ここ10年くらい、そんな形でまた脚光を浴びてしまったの。

_佐藤

そうですよね。
それって、どういうことなんでしょうか。
いい音楽や作品は、やはり普遍的に繰り返すというか?

_永井

自分でも、不思議なんだよね(笑)。
何となく、時代がそういう気分なんだろうね。
今は、80年代の邦楽をかけるDJも多いものね。

_佐藤

永井さんのそんなご活躍は聞いていて、
でも、なかなかお会いできるチャンスが無かったのですが、
永井さんの展覧会に近しい人がかかわっていたこともあって、
コラボレーションの話が動き出しました。
DELFONICSは、どちらかと言うと、
アメリカ文化の後にくるヨーロッパの流れを背景に持つブランドです。
そのような中でも、永井さんの絵は「はまるなぁ!」と思いました。
気分的にも、今の時代にも。
今の若い人には、どういう感覚で受け止められているのでしょうか。

_永井

若いファンに聞くと、はっぴいえんどから始まり、
大瀧詠一を聴いて、そして僕を知りましたと。
でも僕の周りにいたクリエイターのことは、あまり知らない。
だから、音楽ってすごいと思います。
広告の作品は消えていってしまうけれど、音楽は残っている。
だから今は、音楽の仕事は断らないの(笑)。

_佐藤

とはいえ、永井さんの普遍的な絵の良さ、
抜けがあって心をわしづかみにされてしまうようなあの感じ。
そこにパワーがあるからこそ、伝わるべきところに伝わっている。
そんな感じがするんですよね。

_永井

僕には分からないけどね。
もちろん、仕事をするなら僕の絵に合っている音楽がいいですよね。
若い人で曲を送ってくるミュージシャンもいるけれど、
自分に合っていれば、ギャラはいくらでもいいよって言っちゃう(笑)。

_佐藤

今の時代に、永井さんの絵が確実に届いてくる感じがしますが、
DELFONICSも、あまりそこに乗っかるのではなくて、
純粋にいいものを長く作り続けていけたらいいなと思います。
あくまでもコラボレーションはお互い相手のコンセプトや考え方に
共感できるかどうかで決まってくるので。
永井さんが大事にしていることを受けとめて取り組んでいけたらと思っています。

AOR
永井さんは70~80年代のタイトルを復刻した
『AOR 1000』シリーズのアートワークを手掛けている
シティポップ
1980年代に流行。当時、江古田に住んでいた
永井さんは「池袋で山下達郎に偶然会うことが多くてね」